こんにちは、あつこです。
ここんところ、数ヶ月、とっても忙しくてつかれてました。
というか、前だったらこれくらいの量はなんとかこなせて過ごせてたのに。
それができない!と発見
毎日やり残してることがある。
明日はやろう、明日やろうとあすなろ化。
それでもやっぱり次の日できない。
どんどんタスクがたまる。
気持ちはあせる。
ただ体は反比例。
やる気なし、元気なし、だらだら、今日ももう終了。
「わたしはなんでちゃんと生きてないんだろう。」
それくらい落ちてました。
もどかしい気持ち、
がんばりたいのにがんばれない状態。
こんなんでいいのか、いいわけないと思う葛藤。
そんな日々。
でもあるとき気がついたのです。
わたし今がんばれないんだって。
いままでずーっとがんばること=よし、という方程式で生きていたわたし。
そういう世代ですよね、昭和生まれって。
それができないって気がついて、
認めてみたらちょい楽になりました。(それでもまだ日々気持ちの交錯あり。たびたびやってくる葛藤と毎回向き合う。)
もしかして、わたしいま休息必要じゃない?
ペースダウンすることを体が教えてくれてるんじゃない?
このまま走り続けたらバーンナウトしちゃうから自然とブレーキかけてるんじゃない?
なんて思って。
そうだ、そういえば今日がわたしの人生で一番年をとってるぞ。
(よくこの反対言いますけど)
ってことはいままで踏み入れたことのない領域に切込隊長として足を踏み入れてるわけで。
なーんだ。そうか。
そうだ、わたしは絶賛更年期。
先日も生理周期が乱れて、3週間周期で生理がいきなり来て、
「あれーっ今月到着早くない?お部屋の準備できてまへんけど?」
って思ったじゃん。
体も老齢期を迎えるにあたり、てんやわんやしてるってわけです。
「そっかー了解。そゆことね。」
と思い始めたら楽になった。
アーユルヴェーダの世界では人生の本番って60才からと言われます。
それまでの人生はなるべく消費せず浪費せず、
出し惜しみくらいで生きてエネルギーを(=オージャス)無駄遣いしないのがよいと言われるんです。
60才までは無理せず生きて経験と知恵は蓄えておいて、それを生かして本来の自分のダルマ(生まれた目的)を果たして行くというのがよいとされる。
その理論を聞いたときは、
「えーっそんなゆるりとした生き方でいいのか」(疑い)
と思ったものです。
でも最近はその理論すごくしっくり来る。
多くの人は(わたし含む)、人生の前半でマックススピード、アクセルベタ踏み。
それで擦り切れて疲れて、故障して、人生の後半が思ったような生き方ができない。
(怪我する、病気になる、介護が必要になるとか)
それは本当に望んだことか?
そうではないな、わたしは、と。
といってもまあ、人生結構ワイルドスピードで生きたい時代もあるし、
どこまで飛ばせるか自分を試したいってこともありますよね。
家族のために働いていかねばならぬという事情だってある。
ただ、なんかおかしーぞい、と思い始めたときにちょっとスピードゆるめてみるっていうのもいいものではないだろうか。
人生の立ち止まりポイント。
とくに、40才を過ぎたあたりから多くの人は疲れとままならない自分の体に向き合うこと多し。
そのときにそのポイントを逃さないか、そのまんまにしてしまうか。
それが大きな分かれ道になると思う。
40過ぎからあっという間に老け込む人と、そうでもない人。
わたしはすごくそこに興味があって、なにが分岐点になるのかって日夜研究中。
なにかあると思うんですよ、ここには。
みんな確実に年をとるし老けるし。
でもそのスピードをゆるやかにしたり、しっくりいい感じの老け方(枯れ方)ってあると思ってて。しわすらも自分のチャームポイントにできるはず。
それはこの体のサインを逃さずに、生き方6割OKで生きられるかってことに関係してると思う。
なので、ここ数ヶ月のわたしの体というのもそれだったんだと思うのです。
ということで堂々とゆっくりした生き方をしていこうと思うわけです。
「なるべく省エネで日々過ごす」
としている中でもどうしてもやりたいことってムクムクと湧き出て来てやることになるし。
あれもこれもと欲張る人生のフェーズは終了。
数多ある中から自分の必要な選択肢を選びとる。
厳選した生き方でそこにフォーカスを当てる。(エッセンシャル思考)
そういうことなんじゃないかと思うのです。
なのでこの数ヶ月のもやもやは決して無駄ではなく、わたしに大きな気づきを与えてくれました。
みなさんはいかかお過ごしですか。