精一杯やって、
自分のベストを尽くして、
誠心誠意やって、
それでもうまくいかなかったり、
失敗したり、
誰かになにかを言われたとしたら、
それはもうしょうがないじゃん、と思う
そこは自分のコントロール外のこと
それはもしかしたら自分がすべきことでないからそうなったのかもしれないし、
相手に事情があったからかもしれないし、
環境がミルフィーユのようにマトリックス状態だったからかもしれないし、
時代がそういう流れだったからかもしれないし、
カルマの解消で必要だったからかもしれないし、
その感情を味わう必要があったからかもしれないし、
「かもしれない」だらけ!
あはは
===
などなど理由はさまざま
見える理由と、
見えない理由とある
だからそれでよかったのだ
ただ、
どんなときでもわたしは自分の味方でいたいと思う
自分が一生懸命やったことをわたしは認めている
そのときわたしはそれで精一杯だったんだこともわかる
他の人からしたら「その程度?」と思われることがあったとしても、
今のわたしはそれでいい
自分をふりかえって見て、
「こうすればよかったのかも」
ということがあれば次から改善していけばいいし
最初から怠けようとしていたわけではなく、
手を抜いたわけでもなく(同じ意味か!)、
心を寄せてなかったわけでなく、
わたしはそこで懸命だった
そんな自分が愛おしい!
わたしはやりつくしたんだから
今のわたしはそんな気持ち
完全に自分でなんとかしようという気持ちから
解放されてます
===
なんて思うことないですか?
わたしはいつも自分に忠実で、
自分の味方でいたいと思う
わたしはどんなわたしでも大好きだ
過去わたしはにっちもさっちもいかない状況になると、
自分を責めてました
自分責め大将!
自分責め得意!
1人SMですね
罪悪感を持ち、
劣等感を抱き、
自分の存在を否定し、
自分にダメ出ししてました
でも待てよ、と
そう思うべきところはあったかもしれないけれど、
自分の存在を否定してどうする!
わたしがわたしでいることを許可してなかったら「あんた誰よ」状態
わたしは生まれたときからわたしであり、
死ぬまでわたしなのだ
わたしがわたしを認めてなかったら、
他の人たちからわたしは見えなくなる
わたしはわたしで生まれた瞬間から、
わたしでいることが最優先事項であり、
他のだれかにわたしをしてもらってはだめなのだ
***
このブログはわたしが9月末くらい書いて、
下書きのまま置いていたものです
このころのわたしは、
なかなかに嵐の中にいて、
とてもつらかったね、と自分に言ってあげたい
そのときの感情を正直に書き表したのですが、
渦中に居すぎてOPENにできなかったんだと思います
数ヶ月たって、
だいぶ全体像が自分でも見えて来て、
落ち着きを取り戻せたのでようやくOPENできることになりました
わたしがこの時期を経て気がついたことは、
なにかが起きた時は起こるべきことがあるから事象として現れる
その本当の意味に気がつくまでは事象は続く
答えがわかるのは自分だけ(自分と対話することが必要)
自分の言葉で着地点を見つける(そうすると本当に納得するから)
渦中にいると元気づける言葉がけはかえってつらい
ただただ今の気持ちに寄り添ってくれる言葉が癒しだった
這い上がるためには自分の中のオージャスをとにかく増やすようにする
睡眠・食事・運動、そして呼吸法と瞑想、さらにオイルマッサージも有効
どう考えても理解できない場合は、自分で思考するよりもっと大きな枠で起きているできごとかもしれない
そうなったらいさぎよくもう降参(サレンダー)したらいい
どんな自分でいても家族はただただいつものようにそばにいてくれた
こんなところでした
元気になって来ましたので、ブログも再開しますね!