日記

老いていく、ということ

さいきんとても自分が「老けたな」と思うことがある
そりゃ、御年50才、半世紀生きているわけですからね

でもです

やっぱりそんな自分の姿に見慣れてないというか、
勝手に心の中は18歳、いやそれは言い過ぎか、28歳くらいの姿が自分だと認識しているのです(それも「よーゆうたわ」という感じですが)

それがこのごろショーウインドウに映った姿とか、
ふとした拍子に撮られた写真とか、
自分のフォルムが丸っこくなっていることに愕然とする(太ったというのもあるけれど)

「わたしこんなに首〜肩・背中にかけて丸み帯びてたっけ?」
「無表情の顔がこんなにたるんでたっけ?」

と思うわけです

太ったことは自覚あるんですけど、それだけでない要因があるようにも思える
筋力低下、柔軟性低下、で背中が丸く前肩になってる感じがある
若い頃は下半身には肉がつくけど上半身が太るっていうことは皆無だったんですけど

もうそうは問屋がおろさない

肌のハリもコラーゲン含有率が下がることは避けられなく、目尻のしわにほうれい線を隠せない
目の下の涙袋という箇所がたるんでくる
娘たちがこの場所をせっせとメイクで作ってるのが信じられない
こちとら自前でそれナチュラルに24時間あるんですけど

髪には白髪があちこちに点在するので定期的なカラーリングはやむなし
ナチュラルケアとしてヘナを使ってたのですが、さいきんは手軽に使えるということで市販の部分染カラーリング剤でサッと染めちゃうようになった(簡単な方に流れていく)
体を酷使したりストレスがかかった時期から換算して3ヶ月後くらいにぶわーっと白髪が増える気がする
あと髪の量というかハリコシがなくなって来て、気をつけないとぺちゃんこヘアになってしまう
なので今は軽いパーマヘアにしてます
パーマヘアは気をつけないとおばさんヘアになっちゃうからここにも工夫が必要(抵抗しまくりやな)

歯ももろくなっていて固いものを噛む自信はない
かつては氷だろうとかた焼きせんべいだろうとなんでもごじゃい!という感じで「バリバリバリバリ〜」とやってたのですが、今となってはそんなおそろしいことは決してすまいと思ってます
知覚過敏もここまで来るか?という感じで、はっさくなどの酸味がつよい果物を食べた後は相当時間をおいてじゃないと歯磨きできない(ブラシが当たるだけで激痛)

目も悪くなってる
老眼は2年ほどまえからは確実に「わたしは老眼です」と言う状態になったので、
文庫本を読む時は老眼鏡必須
近視も進んでいてもともと視力は1.0くらいだったのに30代後半から徐々に落ちて来て、いまは車の運転するときはメガネ必須です
年齢を重ねるとともに見なくていいものは見なくてよいようになってるのかもしれないけど・・
ただ実家に帰るとあれほどきれいに家を整えていた母が、もう床のほこりとか食器のよごれなどが見えないのかそれらの汚れが目に入る
わたしも30年後にはそうなるのかもしれない

耳の衰えもある
子どもたち(若い世代)が話すスピードについていけないというか、文章として音がちゃんと拾えないときがある
何度も聞き直してやっと意味わかった〜ってなる
入ってきた音と、それが脳に伝わって言葉として理解するという回路がゆっくりペースになってるということなのか、ただ単に若い人たちの言葉遣いや言い方に慣れてないのか
よーわからんのですがとにかくなんかリズムがちがう
音声配信がすきなので家事しながらAirPodsでPodcastとかオーディブルを聞いてるせいもあるのかも
イヤホンって良し悪しがありますが、やっぱり便利で使っちゃいます

気力の低下
なにかしようと思っても腰が重い
ぼけーっとしてしまってなにもしてなくて「やらなくちゃ」の気持ちがあるのに体がうまいこと動かない
中から湧き出るエネルギーというか、原動力みたいなものが少なくなった気がする
10年くらい前は仕事もして子育てもして家もきれいにして、会いたい人に会って、行きたいセミナーとかあればよろこんで行って、ヨガもして、なんてしてたのに、なんか動くエネルギーが少ないというか、1つやったらしばらく休憩しないと次に動けないし、1個のことに集中しないとちゃんとできない感じ
前は同時進行でいろんなことを考えながら動けたんだけど

まあわたしは老いてるってことです
それを素直に認めよう
認めたくない抵抗感はあるけど
もうわたしは若くないのだ
老齢期というフェーズに入ったのだ(入り口)
認めてしまえば楽になる気はするけど、それでも抵抗感はいなめない
しばらくジタバタする時期なのかもしれない
素直に認めるほどわたしは人間できてない

若さ、ということを武器に勝負ができないということ
若い人・自分の子どもたちを見て思うのは「若い」というだけで存在感があり、存在理由があり、希望がそこにはある
ではわたしはなにをこれから武器にしていくのか

武器、というとすごく挑戦的な好戦的な感じになっちゃうから違う言い方をしたい
アイテム、と言おうか、若さはアイテム

そのアイテムを外したわたしはなにをこれからアイテムにしていくのか
お?アイテムはアイデンティティーとも言えそうだ
わたしのアイデンティティー

それは経験と知恵とまろやかさかもしれない
これからわたしが表現するところはそういうことにフォーカスしたらいいのかもしれない
時間の経過なしにはたどりつけない境地だから
若い人が背伸びしてもできないのがそれだけの時間を経過してできごとを経験しないとたどりつけない場所
そしてその時間の経過の中でとがった部分が削られていくようなやわらかさもたずさえて

だとしてもそこでぼーっとしていたらただの中古品になる(きゃぁ!)
その経験を通して自分がなにを感じて考えたか、そしてそれをどう生き方に反映するか

深く考えたか、どこに軸を置いたのか
経験したことを自分の血肉に変えられるか
その先には中古品でなくヴィンテージ品になれる未来がある気がする

そういうことが問われる年代になったのだなと思う
そう思うとほげーとしてる時間なんてないじゃんと思うわけです
ほげー時間も持ちながらも(体力ないんで)、頭は使うことができる
いろんな角度から物事を考えて、考察を深めて、自己対話することが大事だと思う

ということで、そういうフェーズに入ったよという現場からの報告でした

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オリンピックや高校野球の選手にはただただその若さと情熱とエネルギーに惚れ惚れしながら、わたしはその主役にあこがれる感じももちろんなくはないのだけれど、育成側、サポート側の監督や保護者に共感する(彼らの多くがわたしと今同年代)
そして主役を引き立てる脇役というものにもしみじみとしたとびきりのしあわせというものがあるんだなと思う

ということをひしひしと感じる50歳の夏でした