6時起床。
呼吸法、めい想、肩ストレッチ、顔筋トレーニング、オイルマッサージ、シャワー完了。
自分の準備(シャワーとか着替えとかメイクとか)をすませておくと、そのあと楽。
子どもが小さいころは、その方法がわからずにいた。
わちゃわちゃと子ども起こして着替えさせたりご飯食べさせて「ひー」となりながら、
「ほりゃ、保育園行くよー」
とかけ声かけるもふと見ると、
自分がパジャマで髪ボサボサでなにひとつ出かける準備ができてなかったことがよくあった。
「…、えっあたし? 」
と。
朝のPC仕事終わらせ、最低限の家事だけして9時半出発(ゼイゼイ)
今日は息子の中学校の音楽祭。
久々に都内に出る。電車に乗る。座席のとなりのおじさんと肩も二の腕もひじも「ぴたっ」とくっついているくらいに座る。
いまのわたしにはこれが不思議でしょうがない。
よく電車に乗って移動していたころはこんなこと当たり前だったけれど、満員電車に乗らない生活をしているとそのギャップを感じる。
見ず知らずの人と、こんなにスキンシップしていいのか?
そもそも、オーラ的に言っても身体的に接触していなくてもこの近さで人のそばいにたら相手のオーラと交わるのは必須。
意味なくイライラしたり、怒りがわいてきたり、悲しくなったり、孤独を感じたり、急にハイテンションになったり、とか自分の感情とはちがうものを感じる場合は、こういう電車での距離感って関係あると思う。
立っていての満員電車とか、体の全方向が見ず知らずのだれかと接触しているなんてよくよく考えてみるととってもありえないことだ。
スピリチュアル的に言うと、満員電車に乗る前に自分をゴールドの卵の殻でシールドを作るといいと言われます。たとえばだれかがネガティブな感情ですごく自分を攻撃してくるとき(態度や言葉などでも)、これを瞬時にイメージするとうまく回避できるなんてこともあるそうで。
ママ友と(とくに決めてはなかったけれど)なんとなく待ち合わせしていた。けれど、やっぱりわたしは時間に間に合わずで後から合流に。ほんとうに人と待ち合わせすることが苦手である。。壊滅的にできないと宣言していいだろう。ここ数年それがもう止められない状態。前はもうちょっとちゃんとできたけど、もうできない気がする。というかなるべくそういう状況にならないように、ふわっとした待ち合わせにしておく。
会場のホールの空いてる後ろの方の席に座る。オペラグラス持ってきてよかった。生徒一人一人の顔がちゃんと見える。中学生くらいになるとはずかしさもあるので、はずかしそうに歌ってる子もいれば、めっちゃイキイキと歌ってる子もいる。思わず体が動き出しちゃって歌う子とか。それぞれにかわいい。
感じるのは、歌うというのはチャクラとオーラの関係性が非常にあるということだ。ある意味チャクラとオーラがわかりやすく可視化されると思う。その人自身のチャクラとオーラが広がって輝きが見えると人は感動する。
音楽祭のあとは、ママたちとNIJIYA CAFE(ニジヤカフェ)というところでランチ。ずっとNINJA CAFE(忍者カフェ)だと読み違えていた。こういうこと、よくあるわたし。いまでもフォークやスプーンのこと「カトラリー」か「カラトリー」かわからなくなる。ママたちとたくさん話をしてとってもたのしかった。
帰宅。末っ子の中学校で使う上履きを買いに行く。これで中学で必要なものは準備OKになった。一安心。帰り道、マスクも買う。夕食はコロッケを揚げる。長女がはるさめサラダと、れんこんのきんぴらを作ってくれていたので、あとはキャベツを千切りして完了。みれいさんの『あたらしい移住日記』読了。読んでほんとうによかった。みれいさんの魅力、また再発見。人を陽気な気持ちにさせ、不思議に魅了する。そして細川亜衣さんのレシピ本読みたくなった。
生協のオーダー忘れていた!寝る前にあわててする。2つ生協をたのんでいるのだけど、1つの方のしめきりが木曜日の夜中の2時なのだ。もう一つは木曜日の朝9時。紙のカタログを見ている気力もなかったのでオンライン上の電子カタログから注文する。これがよかった!注文が簡単だし(クリックするだけ)、カタログをあれこれ見ながら悩む時間が大幅に短縮できる。これはいい。今後はオンライン上で完結していくことにしよう。便利なことはどんどんあたらしいものを取り入れていくタイプ。
23時就寝。今日も遅くなった。
「OTAMESHI(おためし)」って来るよね。という話。
調子よくものごとが進んだり、ラッキーが続いたり、ただただたのしく気持ちが上がっているときってありますよね。いわゆるよい流れに乗ってるときというのでしょうか。波動が上がってるとも言えますね。
そんなときに、来るんです『OTAMESHI(おためし)』さんが。
思ってなかったことが起こったり、いい感じだった流れがせきとめられたり、急に気分ガタ落ちになったり。
そして「あーあぁぁぁ」ととつぜん穴に落ちたようになり、ちょっと前のあの感じはどこへやら?となったりしませんか。
これ、OTAMESHIなんだと思います。
「この方向で本当に進む覚悟があるのか?」
「なにがあってもその信念は変わらないのか?」
「少しでも疑いの気持ちを持っていないと言えるのか?」
と聞かれているんだと思うんです。
そのときに目の前の状況や自分の気持ちの落ち込みようにひっぱられて、
「あーーー、いい感じと思ったけどやっぱりムリかも。」
「一瞬自分もできるかも、って思ったけどそれはまぼろしかぁ。」
「なんだかんだいって、前と同じ状態が落ち着くからそれでいいか…」
となることは往々にしてある。
ここなんです!
ここでなにを選択するのか。
自分のほんとうの選びたいものはどの道なのか。
これはOTAMESHIを通しての問いかけなのです。
わたしはここ数日、それがありました。
数週間前から自分の中での変化を感じていて、それに伴ってなにをしていても「たのしいなぁ」って思ってて。
選ぶ方向性が変わってきた!いい感じ、自分。と思っていたのです。
ところがです。
突然OTAMESHIはやって来ました。
「とんとん」とかわいいノックだったらまだいいのですが、
OTAMESHIくんとやらは烈火の如く、バズーカ砲のように心にダイレクトに割り入ってきます。
「ぎゃーーーっ」
との声が鳴り響くのです…その自分の声ですべてが埋めつくされ、なにも聞こえなくなります。
そのあとは上に書いたような気持ちのループ。
そしてどんどん落ちていくテンション。
そのときわたしは、今回のわたしは、ちょっとちがいました。
いつもならそのループに巻き込まれて元いた場所に連れ戻されるのですが、今回は。
「このルート、いつものパターンだ。今回はわたしはこのタイムラインには乗りたくない。わたしが乗りたいのは○○○で、♡♡♡なタイムラインなんです!そっちをわたしは選ぶ。なのでなんでかわかんないのだけど、その先にいる自分は『あーハッピーハッピー』と言いながらリラックスした顔をしている。わーうれしい。」
とイメージしてみました。
なんの確信もないし、兆しもないし、このままだと可能性もないのはわかっていたけれど。
そうしたら…どうなったでしょうか。
今週の金曜日のブログにその続きを書きますのでおたのしみに!
(引っ張ってすいません。長くなっちゃったのと、これ書いているのが土曜日なもので)